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巷で話題の銃剣の歴史

こんにちは、アラスカ4世です。

書くと言っていたチュートン騎士団の記事ですが、話がとっちらかってしまい進捗していません。かわりに、今流行りの銃剣の歴史に関する記事を書きました。これを読めば、巷や界隈などで話題の銃剣が軍事的にどういう位置付けの武器だったのかわかるようになります!

銃剣に関する時事問題のおさらい

文部科学省は3月31日、小中学校の新学習指導要領で、中学の武道で新たに「銃剣道」が選択できるように改訂することを告示しました。


銃剣道は、銃を模した木銃を使って突き合う競技だそうです。


 

銃剣の発明とそれ以前の銃兵

さて、この銃剣ですが、17世紀のフランスで誕生しました。農民同士がケンカをしている際、銃口にナイフを差し込み、それを武器にして相手を襲った者が現れました。その人が銃剣の発明者です。

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ケンカが発生したのがバイヨンヌという町だったため、銃剣はバヨネット(仏:baionnette 英:bayonet)と呼ばれるようになりました。

銃剣の発明は画期的でした。当時のマスケット銃は射程が短く、一発撃つごとに装填が必要で、装填に時間がかかりました。そのため、銃剣を装備していない銃兵は一度弾を撃ってしまうと、槍や剣などで接近戦を試みてくる敵に対して無防備になってしまいました。

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無防備になってしまったマスケット銃兵の例 アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』からの引用

 

少し真面目に細かく書くと、マスケット銃の射程は長くて100メートルぐらいで、現代の銃のように弾が正確には飛びませんでした。そのため大勢の銃兵で横列を作り、一斉に発射する事で弾幕を張り、低い命中精度を補う運用方法が主流でした。そして撃つためには、銃口から銃弾と火薬を装填し、銃を構えて敵を狙って撃つという動作が必要なため時間がかかりました。

これは人がマスケット銃に弾を込めて撃っている様子の動画です。この人は最速記録に挑戦しているらしいので早く弾を込めることが得意な人のようですが、普通の兵士は装填にもう少し時間がかかったと思われます。しかもこれは18世紀の比較的洗練されたマスケット銃なのですが、これよりも旧式の銃(火縄銃など)であれば、装填にさらに多くの手間が必要でした。

それでも銃を撃てば、銃が登場するまで戦場の主役だった騎士が身に纏っている金属の鎧を貫くことができるので、銃は広く使われるようになりましたが、銃兵を護衛するために近くに槍を装備した兵士が置かれる事が普通でした。

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このgifアニメは16~17世紀のスペイン軍(右側)が左側の敵と戦っている様子です。彼らは槍兵の部隊の周りに銃兵を配置して陣を組みました。そしてこの陣に敵が近付いてきた時、銃兵は弾を撃って敵に打撃を与えた後、槍兵の後ろに退避し、後は槍兵による白兵戦に任せることになっていました。この陣形は「ルシオ」と呼ばれていました。

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wikipediaから引用したテルシオの図です。灰色が槍兵、オレンジと赤が銃兵です。

銃剣の活躍と衰退

従来の銃兵は、基本的に他の兵科の援護を行う戦場の脇役でした。しかし銃剣が発明された事で銃兵も白兵戦ができるようになり、槍兵なしで戦う事ができるようになりました。銃剣の発明によって、ほとんどの歩兵が銃と銃剣を装備して戦うようになっていきます。

ナポレオン戦争中の1815年のワーテルローの戦いでは、ネイ元帥率いるフランス軍の騎兵部隊がイギリス軍の歩兵の方陣に向けて突撃しましたが、銃剣に阻まれて大きな被害を与えられないまま壊滅してしまいました。

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重要な発明だった銃剣ですが、銃の性能が上がり、白兵戦の機会が減るにつれて使われる機会が減っていきました。19世紀にはライフリング(銃身に溝を彫り、その溝に沿って銃弾を回転させて撃ち出すことで、弾道を安定させる機構)を施した銃が普及して銃の射程と命中精度が大きく向上します。また後装式の銃(さっきのYouTube動画のように銃身の先からではなく、手元で弾を込める、現代の我々がよく知っているタイプの銃)が普及すると、弾の装填に必要な時間が短くなり、より頻繁に弾を撃てるようになりました。

アメリカ南北戦争中の1863年に行われたゲティスバーグの戦いでは、南軍がピケットの突撃と呼ばれる歩兵突撃を試みましたが、激しい銃撃や砲撃に晒され、大きな損害を出して失敗に終わりました。開国や明治維新によって銃剣が日本に伝わったのと大体同じぐらいの時代の出来事です。

旧日本軍は1894年にフランス式の銃剣術を廃止して独自の銃剣術を制定し、アジア太平洋戦争の際には竹槍の訓練にこの銃剣術が用いられました。銃剣術は大戦中の1940年に銃剣道と名前を改められ、現在でも自衛隊の訓練などに用いられています。

しかし、銃剣を戦闘で使う機会は兵器の進化と共に減っていきました。日露戦争第一次世界大戦機関銃が大規模に利用されるようになると歩兵による突撃は容易に撃退できるようになり、歩兵のライバルだった騎兵も時代遅れになりました。第二次世界大戦では旧日本軍は本土決戦を企図しましたが、空襲や海上封鎖などの地上戦以外の要因によって降伏を強いられました。

ただし現代において銃剣を使う機会が全くなくなったわけではなく、フォークランド紛争イラク戦争中のイギリス軍による銃剣突撃の成功事例などがあり、アメリカ海兵隊でも全ての隊員に対して銃剣格闘訓練が行われています。また、鉄条網を切断するためのワイヤーカッターとしての役割や、他者を威圧する機能などもあり、単なる武器として以外の用途もあります。

おわりに

銃剣は発明当初、画期的な武器でした。銃剣があれば、銃兵に近付いて白兵戦を試みてくる騎兵などの敵から身を守る事ができるので、銃兵のみで構成された歩兵部隊を編成する事ができるようになりました。
しかし、銃剣の発明それ自体を含む銃器の性能の向上の結果として、白兵戦の機会は減り、銃剣の重要性は低下していきました。日本式銃剣術が制定されたのは1894年だそうですが、この時点ですでに銃剣は重要な武器ではなくなっていました。
というわけで、これから銃剣道を学ぶ中学生の皆さんはナポレオン戦争の時代の歩兵に思いを馳せ、ネイ元帥率いる大陸軍の騎兵突撃を受け止める気持ちでやっていくと楽しいと思います。
これぐらいの時代の軍事史に関しては、機会があったらまた何か書いてみたいと思うので、その時は読んで頂けると幸いです。それではまた、アラスカ4世をよろしくお願いします。