棍棒外交によって中南米にアメリカの覇権をもたらした大統領、セオドア・ルーズベルト
はじめまして、アラスカ4世です。歴史に関するイラストを描いて、はてなブログに連載しようと考えています。詳しい自己紹介は以下のページにあるので、アラスカ4世のことが気になる人は読んでください。
さて、アメリカの大統領選直前の今日はアメリカの大統領経験者、セオドア・ルーズベルトに関する解説とイラストを描きました。
セオドア・ルーズベルトは1901年から1909年までアメリカの大統領を務めました。第二次世界大戦のころの大統領、フランクリン・ルーズベルトは彼の遠い親戚です。
(左:セオドア・ルーズベルト 右:フランクリン・ルーズベルト)
彼がどうして大統領になったのかというと、副大統領を務めている時に大統領のウィリアム・マッキンリーが暗殺されたからです。マッキンリーは無政府主義者のレオン・チョルゴッシュによってニューヨーク州バッファローで開催されたパン・アメリカン博覧会の会場で銃撃され、数日後に死亡しました。
マッキンリー大統領暗殺事件の数日前、セオドア・ルーズベルトは、「大きな棍棒を持って、静かに話せ。それで言い分は通る」という西アフリカの諺を用いて武力を背景にした外交を行う事を主張しました。大統領になった彼はこれを実践し、中南米諸国に対して積極的な外交を行いました。この方針は「棍棒外交」と呼ばれました。
具体的にはコロンビアからパナマを独立させ、パナマ運河の工事権と租借権を獲得したり、米西戦争でスペインから独立したキューバを占領下に置いたり、ドミニカ共和国のヨーロッパ諸国に対する借金を肩代わりすることでヨーロッパ諸国による干渉を防いだりしました。
日本との関係では、日露戦争を調停してポーツマス条約の締結を斡旋しました。これによって1906年にはノーベル平和賞を受賞しました。
次は、国内政策について紹介します。当時のアメリカでは急激な経済成長が進んだ一方で独占資本の形成が進み、買収した企業を傘下に収める事で市場を独占する、トラストと呼ばれる形態の巨大資本が多く成立しました。彼らは市場を独占しているため価格競争をせずに高い価格で消費者に商品を売りつけることができました。ジョン・ロックフェラーはスタンダード・オイルを創業し、トラストによって巨万の富を築きました。
これに対してルーズベルトはこれまで使われていなかったシャーマン反トラスト法を発動し、巨大資本を牽制しました。また、純正食品・薬事法を成立させ消費者保護に努めました。
大統領になる前のルーズベルトは1897年から1898年にかけて海軍次官を務め、1898年にスペインとの米西戦争が始まると海軍省を辞職しました。そして、第1合衆国義勇騎兵隊を結成して指揮し、キューバでの戦いで活躍しました。騎兵隊はラフ・ライダーズと呼ばれました。
幼い頃病弱だった彼は7歳の頃から博物学に関心を持ち、多くの剥製を作って従兄弟と一緒に博物館を作ったりしました。アウトドアスポーツに熱中する事で病弱な体質を克服した彼は大統領退任後、アフリカや南米を探検し、スミソニアン博物館やアメリカ自然史博物館のための標本を集めました。
強力なリーダーシップを発揮したセオドア・ルーズベルトの業績はアメリカ人から高く評価され、ラシュモア山にはジョージ・ワシントン、トマス・ジェファーソン、エイブラハム・リンカーンの巨大な彫像と並んでルーズベルトの彫像も彫られました。
ルーズベルトの記事は以上になります。これからも、歴史に関する色々なイラストをアップしていきたいと思っているので、よろしくお願いします。