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騎士団について解説する 1、顕れるテンプル騎士団編

こんにちは。アサシンクリードが映画化された事にさっき気付いたアラスカ4世です。それはそうと、『騎士団長殺し』という小説が出版されたらしいので、今回から3回に分けて中世ヨーロッパで成立した宗教騎士団について記事を書きます。今回はテンプル騎士団です。次回とその次は、聖ヨハネ騎士団チュートン騎士団の記事を書く予定です。

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概要

テンプル騎士団は1119年に創設され、高い士気と良質な装備によって中世最強の騎士団として知られるようになりました。また莫大な資産を保有し、金融活動を活発に行いました。しかしこの資産を欲するフランス王フィリップ4世によって騎士団は1307年、冤罪によって摘発され、異端審問を経て解散させられてしまいました。

設立の経緯

テンプル騎士団創設の約25年前である1095年、ローマ教皇ウルバヌス2世は第一回十字軍の結成を呼びかけ、貴族や諸侯を含む多くの人々がこれに参加しました。

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十字軍はイスラム教徒とのいくつかの戦いを経て1099年に聖地エルサレムを占領し、当初の目的を果たすことに成功しました。
十字軍に参加した人々の多くはこれに満足し、ヨーロッパに帰りました。そして故郷で英雄として賞賛されました。ヨーロッパと比べて豊かだった中東の略奪品によって金も儲け、幸せに暮らしました。よかったですね。

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さて、問題は征服した土地に残った人々です。十字軍はエルサレム王国などの十字軍国家と呼ばれる国々を建国しましたが、周囲をイスラム教の国々に囲まれていました。十字軍が来る前からいた住民はイスラム教徒やカトリック以外のキリスト教徒ばかりで、文化も違うので協力を得るのが難しい。そしてこれまで戦ってくれた十字軍の騎士のほとんどはヨーロッパに帰ってしまいました。誰も国を守ってくれません。

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そこで結成されたのが、これから紹介するテンプル騎士団聖ヨハネ騎士団チュートン騎士団などの騎士修道会でした。

騎士修道会とは?そもそも騎士団とは?

騎士修道会とは、構成員が戦闘も行うタイプの修道会です。つまり騎士をやりながら修道もやる会ということです。騎士や修道会がなんなのかわからないとよくわからないですね。ですからそこの所から解説します。

まず修道会について。修道会はキリスト教信者の組織です。構成員は修道士(女性の場合は修道女)と呼ばれ、修道院などで集団生活を送ります。妻帯を禁じられ、会則に則って神のために禁欲的に暮らしました。ベネディクト会やクリュニー会、トラピスト会、16世紀に結成されたイエズス会などの修道会があります。一部の修道会は多くの富を蓄え、本がとても高価だった時代に図書館を作って貴重な知識を保存、活用したり、豪華な大聖堂を建てたりしました。また、清貧を重んじて私有財産の所有を禁止した修道会もあります。色々な修道会がありますが、ほとんどは神のために奉仕する意識の高い集団でした。中世の頃ほど規模は大きくなく、規則や活動内容も中世の頃とは違いますが、現在でも修道会は存在します。

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騎士団は、騎士の団です。歴史上最初に作られた騎士団は、この記事で触れているテンプル騎士団などの騎士修道会です。それ以前は、騎士団と呼ばれる組織は存在していませんでした。
騎士修道会が成立し、それがかっこよかったので貴族達が真似をしてガーター騎士団金羊毛騎士団などの世俗騎士団を結成しました。しかしこれらは騎士道精神やキリスト教精神を守ろうとする貴族のコミュニティーに過ぎず、ガーター騎士団の当初の定員が26名、金羊毛騎士団が31名など、軍事組織としての実態はありませんでした。
したがって、中世ヨーロッパ風ファンタジー小説とかに出てくる「騎士団」のうち、宗教的なバックボーンがないものは、正確なヨーロッパの歴史をベースにして創作されたものではない可能性が高く、ジャガイモ警察にとっての突っ込みどころになります。
従来の騎士は特定の領主に忠誠を誓い、領主のために戦いました。これに対して騎士修道会の騎士は世俗の主君を持たず、半ば独立した政治勢力として振る舞いました。
どちらの騎士の場合も、馬術や馬上戦闘術を習得するための長い訓練や甲冑や馬などの高価な装備が必要なため、維持には高いコストがかかります。しかし甲冑を装備した騎士による突撃は非常に強力であり、戦いの花形とみなされていました。全ての騎士が馬上戦闘をしたわけではありませんが、馬上戦闘をしない騎士も高い練度と強力な装備を有していました。

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顕れるテンプル騎士団

さて、話をテンプル騎士団に戻します。テンプル騎士団は1119年、ユーグ・ド・パイヤンと9人の騎士達によって結成されました。かつてソロモン王が建てたエルサレム神殿(Temple in Jerusalem)の跡地である神殿の丘に本部が置かれたことから、テンプル騎士団(Knights Templar)と呼ばれるようになりました。

テンプル騎士団には宗教的な情熱に燃える騎士達が多く入会し、その際に持っていた土地や資産を騎士団に寄進しました。またフランスなどの国王や大貴族も、入会はしませんでしたが広大な土地を寄進し、テンプル騎士団は膨大な資産を保有することになりました。
しかも教皇から国境通過の自由、課税の禁止、教皇以外の君主や司教への服従の義務の免除などの特権を与えられたので、勢力を拡大することができました。

金融業を始めるテンプル騎士団

莫大な資産を持つようになったテンプル騎士団は、為替取引などの金融業も始めました。為替取引の利用者は、現金を用いずに為替手形を用いて遠隔地と安全に取引ができるようになります。これは、治安の悪い中世においてとても重宝しました。
特に、自己宛為替手形を用いて自分宛に手形を出すことで、大金を持たずにエルサレムに巡礼することができるようになりました。

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(自己宛為替手形を使う場合、テンプル騎士団を介してエルサレムなどの目的地に送金を行います。そして目的地に着いたらテンプル騎士団の支店からお金を受け取ります。こうすることで、移動中にお金を奪われたり盗まれたりするリスクを回避できます。)


また、フランス王国の国庫を管理したり、資金を融資したりもしました。課税免除などの特権に守られながらこうした活動を行っていた騎士団は、商人などから妬まれるようになりました。

テンプル騎士団の戦い

テンプル騎士団はこうして得た潤沢な資金を用いて高価な装備を調達し、団員に充分な訓練を施したました。宗教的情熱に燃える団員らは決して降伏せず、死を選ぶ事で天国に向かう事を誓いました。高い士気、装備、練度を誇ったテンプル騎士団は、中世最強の騎士団として知られるようになりました。

12世紀後半、イスラム教徒の指導者サラディンアイユーブ朝を建国し、エルサレム王国への攻撃を行いました。テンプル騎士団はこれと戦いますが、総長のジェラール・ド・リデフォールは敗れて捕虜になってしまいます。彼は一度解放された後、再度捕虜となって処刑されました。

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これによって、決して降伏しないとされていた騎士団の評判は大きく落ちてしまいます。さらに1291年にはエルサレム王国最後の拠点アッコンが陥落し、カトリック勢力は中東からの撤退を強いられました。これによって、聖地エルサレムの防衛を目的として結成されたテンプル騎士団は、存在意義を失ってしまいます。

テンプル騎士団の滅亡

1307年、フランス王フィリップ4世はフランス全土のテンプル騎士団の会員を異端の容疑で一斉に逮捕します。王の息がかかった異端審問官たちは拷問によって自白を引き出し、フランス王の傀儡だった教皇クレメンス5世テンプル騎士団の活動を禁止しました。これによってテンプル騎士団は滅亡し、4人の幹部が火刑に処されました。フィリップ4世は騎士団の資産を接収し、イングランドとの戦いに利用しました。

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フィリップ4世はこの他にも教皇ボニファティウス8世を捕縛して憤死させ(アナーニ事件)、教皇庁をローマから南仏のアヴィニョンに移転させるなど、手段を選ばずにフランスの中央集権化を推し進めました。

その後

フランス王による粛清で突如滅亡したテンプル騎士団は、入会儀式の内容が秘密とされていた事などもあって謎めいたイメージを持ち、秘密結社などとしてアサシンクリードダ・ヴィンチ・コードなどの様々なフィクション作品に登場します。
よく陰謀論などの黒幕として登場するフリーメイソンは、テンプル騎士団の残党によって作られたと主張する人が多くいます。

余談

2014年2月、山梨県などで豪雪による災害が発生する中、安倍首相が赤坂の天ぷら屋で会食を行いました。ジャーナリストの津田大介氏がこれをTwitterで批判したところ、津田大介氏を風刺するコラ画像がネットで拡散し、天ぷら騎士団という言葉が生まれました。

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さて、天ぷら騎士団の天ぷらなのですが、ポルトガル語由来の言葉なのだそうです。ポルトガル語のどういう言葉が語源なのかについては諸説あるのですが、"templo"つまり寺の精進料理だった事が起源だとする説があります。この説が正しいとすると、エルサレム神殿Temple in Jerusalem)の跡地を本部にしていたテンプル騎士団(Knights Templar)は、天ぷら騎士団と語源的に一緒だったことになります。

さて、次は「遷ろう聖ヨハネ騎士団」を予定しています。聖ヨハネ騎士団は急に滅びてしまったテンプル騎士団と違って、ロードス島マルタ島などに拠点を移しながら現代まで存続しているしぶとい騎士団です。次回もお楽しみに!