読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ピピパポピのポパピ はてなダイアリー編

イラストを用いて楽しく歴史を紹介するブログです

「アメリカ第一」を掲げて選挙に圧勝したアメリカ史上最悪の反日大統領ウォレン・ハーディング

こんにちは。アラスカ4世です。

2016年11月9日、「アメリカ第一(America first)」を唱え過激な発言を繰り返すドナルド・トランプアメリカ大統領選挙を制し、大統領になりました。

f:id:alaska4:20161112034634g:plain

そこで今日は『「アメリカ第一」を掲げて選挙に圧勝したアメリカ史上最悪の反日大統領ウォレン・ハーディング』の話をします。

f:id:alaska4:20161112034704j:plain f:id:alaska4:20161112034657g:plain

ウォレン・ハーディングは1920年に大統領選挙に勝ち、1921年から1923年まで大統領を務めました。共和党員の彼は「常態に戻ろう(Return to Normalcy)」「アメリカ第一」をスローガンに掲げ、60.34%の票を得て大統領になりました。民主党候補のジェームズ・M・コックスは34.19%しか票を得られなかったので、26.2ポイントも得票率に差がつき、これはアメリカ史上最大の得票率差でした。

彼の「常態に戻ろう」「アメリカ第一」というスローガンはどういう意味を持っていたのでしょうか?
選挙の当時、第一次世界大戦が終わったばかりでした。オーストリア=ハンガリー帝国皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が暗殺された事によって始まったこの大戦は、1600万人もの死者をもたらしました。

f:id:alaska4:20161112034830g:plain

ハーディングの前の大統領ウィルソンは200万人もの兵士をヨーロッパに派遣し、14ヶ条の平和原則をドイツ帝国に受け入れさせ、この大戦争を終わらせました。ウィルソンの主張に基づいて国際連盟が設立され、東ヨーロッパではいくつもの国が独立しました。しかしこれによってアメリカは相応の負担を強いられたので、ハーディングは国際政治への積極的な介入をやめ、提唱国であるにもかかわらず国際連盟にも加入しませんでした。

f:id:alaska4:20161112034859g:plain

さらに、移民の受け入れ制限も強化されました。彼の任期の少し後になりますが、1924年にジョンソン=リード法が成立しました。日本では「排日移民法」という名前で知られているこの法律によって南欧系、東欧系移民の数が強く制限され、日本人を含む有色人種の移民は全面的に禁止されました。

f:id:alaska4:20161112035127g:plain

また、1901年に就任したセオドア・ルーズベルト以降の大統領はそれまでの自由放任主義をやめ、トラストの解体や消費者保護などを推進していたのですが、ハーディングは自由放任主義、つまり政府による経済への介入を極力控える方針に戻りました。

f:id:alaska4:20161112035141g:plain

セオドア・ルーズベルトについて詳しく知りたい方はこちらの記事をどうぞ

 

こうして当選したハーディングは富裕層への減税を行い、また関税を強化する保護貿易政策を行いました。因果関係があるかどうかはわかりませんがアメリカの経済は活性化し、狂騒の20年代と呼ばれる大量消費時代に突入しました。しかしその後は、1929年に世界恐慌が発生し、深刻な大不況につながりました。

f:id:alaska4:20161112035208g:plain

そしてワシントン会議を開催しました。この会議でのアメリカの目的は、日本の拡大の牽制でした。アメリカ、イギリス、フランス、日本の間で太平洋における領土と権益の相互尊重を取り決めた四カ国条約を提唱し、これに伴って日英同盟解消されました

またワシントン海軍軍縮条約を結び、米英日仏伊の保有艦の総排水量比率を5:5:3:1.75:1.75に定めました。この比率は日本にとって不利だと認識されました。

f:id:alaska4:20161112035225g:plain

アメリカへの移民の道を断たれた日本では反米感情が高まり、世界恐慌の後には関東軍の暴走によって満州事変が引き起こされました。これに対して国際連盟は後の国際連合と違って軍を持っておらず、しかもアメリカやソ連といった大国が参加していなかったため強制力が弱く、有効な対応を取ることができませんでした。やがて日中戦争ナチスドイツの台頭が起こり、第二次世界大戦につながります。

f:id:alaska4:20161112035241g:plain

さて、ハーディングは死後、「アメリカ史上最悪の大統領」として評価されてしまいました。それはなぜでしょうか? 日本人にとってはともかくとしてアメリカ人にとっては、これまで挙げてきた政策は、根拠として弱すぎる気がしますね。

答えは、スキャンダルや汚職が続出したからです。ハーディングは自らの友人を政府の要職につけ、友人達は職権を濫用して汚職を行いました。ハーディングが元々オハイオ州の政治家だったので、取り巻き達はオハイオ・ギャングと呼ばれるようになりました。

f:id:alaska4:20161112035323g:plain

特に致命的だった汚職事件はティーポット・ドーム事件です。海軍が保有していたワイオミング州のティーポット・ドーム油田とカリフォルニア州の2つの油田を、内務省に移管し、内務省はこれを入札なしで格安の賃料で民間企業に貸与しました。格安で油田を借りることができた石油会社の社長は内務長官に40万4千ドル(現在の勝ちで536万ドル)の資金提供を行い、これが発覚して内務長官のアルバート・B・フォールは一年間刑務所で服役することになりました。

f:id:alaska4:20161112035337g:plain

 

1923年、彼はアメリカ全国を遊説しました。大統領として初めてアラスカ州を訪れた彼は帰りにカナダで重い食中毒になり、サンフランシスコで脳梗塞によって亡くなりました。自殺説、暗殺説などもあります。

評判の悪かった彼はクー・クラックス・クランに所属していたとか、黒人との混血だったなどの疑いも持たれています。

f:id:alaska4:20161112035450g:plain

90年以上前の大統領と現代の大統領を比較するのはナンセンスなのですが、とてもおいしいネタだと思ったので記事にしてみました。

今度もう少し長い記事で、アメリカの外交関係史について真面目に考察しようとしているので、完成したらよろしくお願いします。