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イラストを用いて楽しく歴史を紹介するブログです

「アメリカ第一」を掲げて選挙に圧勝したアメリカ史上最悪の反日大統領ウォレン・ハーディング

こんにちは。アラスカ4世です。

2016年11月9日、「アメリカ第一(America first)」を唱え過激な発言を繰り返すドナルド・トランプアメリカ大統領選挙を制し、大統領になりました。

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そこで今日は『「アメリカ第一」を掲げて選挙に圧勝したアメリカ史上最悪の反日大統領ウォレン・ハーディング』の話をします。

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ウォレン・ハーディングは1920年に大統領選挙に勝ち、1921年から1923年まで大統領を務めました。共和党員の彼は「常態に戻ろう(Return to Normalcy)」「アメリカ第一」をスローガンに掲げ、60.34%の票を得て大統領になりました。民主党候補のジェームズ・M・コックスは34.19%しか票を得られなかったので、26.2ポイントも得票率に差がつき、これはアメリカ史上最大の得票率差でした。

彼の「常態に戻ろう」「アメリカ第一」というスローガンはどういう意味を持っていたのでしょうか?
選挙の当時、第一次世界大戦が終わったばかりでした。オーストリア=ハンガリー帝国皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が暗殺された事によって始まったこの大戦は、1600万人もの死者をもたらしました。

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ハーディングの前の大統領ウィルソンは200万人もの兵士をヨーロッパに派遣し、14ヶ条の平和原則をドイツ帝国に受け入れさせ、この大戦争を終わらせました。ウィルソンの主張に基づいて国際連盟が設立され、東ヨーロッパではいくつもの国が独立しました。しかしこれによってアメリカは相応の負担を強いられたので、ハーディングは国際政治への積極的な介入をやめ、提唱国であるにもかかわらず国際連盟にも加入しませんでした。

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さらに、移民の受け入れ制限も強化されました。彼の任期の少し後になりますが、1924年にジョンソン=リード法が成立しました。日本では「排日移民法」という名前で知られているこの法律によって南欧系、東欧系移民の数が強く制限され、日本人を含む有色人種の移民は全面的に禁止されました。

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また、1901年に就任したセオドア・ルーズベルト以降の大統領はそれまでの自由放任主義をやめ、トラストの解体や消費者保護などを推進していたのですが、ハーディングは自由放任主義、つまり政府による経済への介入を極力控える方針に戻りました。

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セオドア・ルーズベルトについて詳しく知りたい方はこちらの記事をどうぞ

 

こうして当選したハーディングは富裕層への減税を行い、また関税を強化する保護貿易政策を行いました。因果関係があるかどうかはわかりませんがアメリカの経済は活性化し、狂騒の20年代と呼ばれる大量消費時代に突入しました。しかしその後は、1929年に世界恐慌が発生し、深刻な大不況につながりました。

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そしてワシントン会議を開催しました。この会議でのアメリカの目的は、日本の拡大の牽制でした。アメリカ、イギリス、フランス、日本の間で太平洋における領土と権益の相互尊重を取り決めた四カ国条約を提唱し、これに伴って日英同盟解消されました

またワシントン海軍軍縮条約を結び、米英日仏伊の保有艦の総排水量比率を5:5:3:1.75:1.75に定めました。この比率は日本にとって不利だと認識されました。

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アメリカへの移民の道を断たれた日本では反米感情が高まり、世界恐慌の後には関東軍の暴走によって満州事変が引き起こされました。これに対して国際連盟は後の国際連合と違って軍を持っておらず、しかもアメリカやソ連といった大国が参加していなかったため強制力が弱く、有効な対応を取ることができませんでした。やがて日中戦争ナチスドイツの台頭が起こり、第二次世界大戦につながります。

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さて、ハーディングは死後、「アメリカ史上最悪の大統領」として評価されてしまいました。それはなぜでしょうか? 日本人にとってはともかくとしてアメリカ人にとっては、これまで挙げてきた政策は、根拠として弱すぎる気がしますね。

答えは、スキャンダルや汚職が続出したからです。ハーディングは自らの友人を政府の要職につけ、友人達は職権を濫用して汚職を行いました。ハーディングが元々オハイオ州の政治家だったので、取り巻き達はオハイオ・ギャングと呼ばれるようになりました。

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特に致命的だった汚職事件はティーポット・ドーム事件です。海軍が保有していたワイオミング州のティーポット・ドーム油田とカリフォルニア州の2つの油田を、内務省に移管し、内務省はこれを入札なしで格安の賃料で民間企業に貸与しました。格安で油田を借りることができた石油会社の社長は内務長官に40万4千ドル(現在の勝ちで536万ドル)の資金提供を行い、これが発覚して内務長官のアルバート・B・フォールは一年間刑務所で服役することになりました。

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1923年、彼はアメリカ全国を遊説しました。大統領として初めてアラスカ州を訪れた彼は帰りにカナダで重い食中毒になり、サンフランシスコで脳梗塞によって亡くなりました。自殺説、暗殺説などもあります。

評判の悪かった彼はクー・クラックス・クランに所属していたとか、黒人との混血だったなどの疑いも持たれています。

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90年以上前の大統領と現代の大統領を比較するのはナンセンスなのですが、とてもおいしいネタだと思ったので記事にしてみました。

今度もう少し長い記事で、アメリカの外交関係史について真面目に考察しようとしているので、完成したらよろしくお願いします。

以前からのTwitterのフォロワーの皆様へ

こんにちは。アラスカ4世です。

アラスカ4世はこの度、はてなブログを始めました。2017年の1月ぐらいから、週1記事ぐらいのペースでイラストと歴史の解説を混ぜた記事を投稿していきたいと思います。やろうとしている事はこれまでと大きくは変わらないはずですが、一記事の文章の長さと画像の数が増え、その分更新頻度が犠牲になると思います。

なぜはてなブログを始めるのかというと、「はてなブックマーク」というWEBサービスを利用して有名になりたいからです。

b.hatena.ne.jp

はてなブックマークのユーザーは、WEBページをブックマークすることができます。短期間で三人以上のユーザーにブックマークされたページは「新着エントリー」として、「はてなブックマーク」にリンクが掲載されます。さらに多くのブックマークがつくと「人気エントリー」として、より目立つ位置にリンクが掲載されます。

このようにしてページが掲載されると、多くの人がそのページを見る事になります。いわゆるバズです。小林銅蟲さんの料理ブログ『パル』などは、このようなメカニズムで多くの人に読まれています。

アラスカ4世は有名になりたいので、このブログの記事を見て面白いと感じたら、記事をブックマークしてもらえると非常に嬉しいです。

参考リンク


そんなわけで今後は、はてなブックマークユーザーが面白い、ブックマークしたいと思うようなコンテンツを作っていきたいと思っています。ブックマークされやすい記事とTwitterで拡散されやすいツイートは傾向が違うので、Twitterのフォロワーの皆様が今まで通りにコンテンツを楽しめるかどうかはわかりません。Twitterで扱ったネタを使い回す事もあります。ですが、アラスカ4世の作家性が大きく変わるわけではないし、ブログを更新したらTwitterでも告知するので、引き続きブログを愛顧していただけると幸いです。

Twitterとポパピポータル(旧ブログ)について

アラスカ4世は2016年11月現在、Twitterで毎日、その日に発生した歴史的事件などのイラストを投稿していますが、12月末でこれを終了します。それ以降は、はてなブログの更新情報や告知などを中心に投稿していくことになると思います。ただし、気が向いたら不定期にイラストも投稿するかもしれません。引き続き、RTやいいねを歓迎します。

ポパピポータル』のほうは、どうするか未定です。WordPressを用いた『ポパピポータル』よりもはてなブログのほうが、はてなブックマークで拡散する上で有利だと判断したので、このブログを開設し、更新の重点を置く方針にしました。そのため『ポパピポータル』は原則的に更新を休止することになります。ただし、これまでに投稿したマンガなどはなんらかの形で読めるようにしておきたいと思っています。

いずれにせよ、これからもアラスカ4世をよろしくお願いします。

棍棒外交によって中南米にアメリカの覇権をもたらした大統領、セオドア・ルーズベルト

はじめまして、アラスカ4世です。歴史に関するイラストを描いて、はてなブログに連載しようと考えています。詳しい自己紹介は以下のページにあるので、アラスカ4世のことが気になる人は読んでください。

 

さて、アメリカの大統領選直前の今日はアメリカの大統領経験者、セオドア・ルーズベルトに関する解説とイラストを描きました。

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セオドア・ルーズベルトは1901年から1909年までアメリカの大統領を務めました。第二次世界大戦のころの大統領、フランクリン・ルーズベルトは彼の遠い親戚です。

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(左:セオドア・ルーズベルト 右:フランクリン・ルーズベルト)

彼がどうして大統領になったのかというと、副大統領を務めている時に大統領のウィリアム・マッキンリーが暗殺されたからです。マッキンリーは無政府主義者のレオン・チョルゴッシュによってニューヨーク州バッファローで開催されたパン・アメリカン博覧会の会場で銃撃され、数日後に死亡しました。

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マッキンリー大統領暗殺事件の数日前、セオドア・ルーズベルトは、「大きな棍棒を持って、静かに話せ。それで言い分は通る」という西アフリカの諺を用いて武力を背景にした外交を行う事を主張しました。大統領になった彼はこれを実践し、中南米諸国に対して積極的な外交を行いました。この方針は「棍棒外交」と呼ばれました。

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具体的にはコロンビアからパナマを独立させ、パナマ運河の工事権と租借権を獲得したり、米西戦争でスペインから独立したキューバを占領下に置いたり、ドミニカ共和国のヨーロッパ諸国に対する借金を肩代わりすることでヨーロッパ諸国による干渉を防いだりしました。

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日本との関係では、日露戦争を調停してポーツマス条約の締結を斡旋しました。これによって1906年にはノーベル平和賞を受賞しました。

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次は、国内政策について紹介します。当時のアメリカでは急激な経済成長が進んだ一方で独占資本の形成が進み、買収した企業を傘下に収める事で市場を独占する、トラストと呼ばれる形態の巨大資本が多く成立しました。彼らは市場を独占しているため価格競争をせずに高い価格で消費者に商品を売りつけることができました。ジョン・ロックフェラースタンダード・オイルを創業し、トラストによって巨万の富を築きました。

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これに対してルーズベルトはこれまで使われていなかったシャーマン反トラスト法を発動し、巨大資本を牽制しました。また、純正食品・薬事法を成立させ消費者保護に努めました。

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大統領になる前のルーズベルトは1897年から1898年にかけて海軍次官を務め、1898年にスペインとの米西戦争が始まると海軍省を辞職しました。そして、第1合衆国義勇騎兵隊を結成して指揮し、キューバでの戦いで活躍しました。騎兵隊はラフ・ライダーズと呼ばれました。

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幼い頃病弱だった彼は7歳の頃から博物学に関心を持ち、多くの剥製を作って従兄弟と一緒に博物館を作ったりしました。アウトドアスポーツに熱中する事で病弱な体質を克服した彼は大統領退任後、アフリカや南米を探検し、スミソニアン博物館やアメリカ自然史博物館のための標本を集めました。

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強力なリーダーシップを発揮したセオドア・ルーズベルトの業績はアメリカ人から高く評価され、ラシュモア山にはジョージ・ワシントントマス・ジェファーソンエイブラハム・リンカーンの巨大な彫像と並んでルーズベルトの彫像も彫られました。

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ルーズベルトの記事は以上になります。これからも、歴史に関する色々なイラストをアップしていきたいと思っているので、よろしくお願いします。

はじめまして(自己紹介)

はじめまして。アラスカ4世です。

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アラスカ4世は、イラストやマンガを描いています。最近は、歴史に関するイラストやマンガに特化するようになりました。このブログでも、歴史関係のコンテンツを中心に投稿していこうと思います。

2016年は、Twitterにイラストをほぼ毎日投稿していました。その日に起きた歴史的事件に関するイラストが主でした。例えば……

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9月23日 散髪脱刀令

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10月5日 ヴェルサイユ行進

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5月30日 2ちゃんねるのサービス開始

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7月19日 ナチスによる退廃芸術展

などです。ツイッターのアカウントはこちらから。

気が向いたらアラスカ4世をフォローしてください。

 

この他に、マンガも描いています。

 

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ピピパポピのポパピ 建国編

 

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プノンペン

 

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ピピパポピのポパピ 創世篇

 

一部のマンガは、こちらで全編閲覧できます。また、コミティアに年二回ぐらい出展しているので、そこで買う事もできます。

アラスカ4世は、こういったマンガやイラストを用いて有名になり、ミームを汚染してみたいと思っているので、はてなブログを始めました。気に入った記事があったらブクマしてもらえると非常に嬉しいです。

というわけで、アラスカ4世をよろしくお願いします。